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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)1015号 判決 1967年4月28日

原告 吉田幸雄

右訴訟代理人弁護士 古谷明一

被告 有関商事株式会社

右訴訟代理人弁護士 池田一

同 池田清美

主文

当庁昭和四一年(ワ)第三、八六三号約束手形金請求手形訴訟の判決を認可する。

異議申立後の訴訟費用は原告の負担とする。

事実

当事者双方の申立および事実上、法律上の主張は後記のほか主文記載の手形訴訟の判決事実摘示(但し、被告の主張二本文中末尾から一、二行にかけて、「手形金請求事件」とあるのを「手形金請求債権」と訂正する)と同一であるからここに引用する。

原告訴訟代理人は、法律上の主張を次のとおり補足陳述した。

一、被転付債権の第三債務者が債務者に対する自己の反対債権と、被転付債権とを転付後に相殺した場合に、この相殺をもって転付債権者に対抗しうるかどうかにつき、最高裁判所昭和三九年一二月二三日判決(民集一八巻一〇号二二一七頁)は従来の見解を改め、自働債権の弁済期が受働債権の弁済期より早く到来する関係にあれば、債権転付の当時に双方の債権がともに弁済期未到来であっても、転付債権者に対し相殺をもって対抗することができると判示した。

右最高裁判決の以前においては、自働債権、受働債権ともに債権転付の当時に弁済期が到来している場合でなければ第三債務者の相殺の対抗を認めなかったのである。これはこのような場合には相殺の遡及効により相殺の効力が相殺適状の始め、すなわち、転付時かそれ以前に遡って生じるので、同一当事者間の債権・債務の対立という相殺の原則的要件がそなわっているとみることができることを根拠としていたのである。

しかし、右最高裁判決は、相殺の遡及効を根拠とする前記の考え方を捨て、第三債務者の相殺の対抗を認める根拠を民法第五一一条の反対解釈に求めた。これにより、転付により受働債権が転付債権者に移転し同一当事者間の債権債務の対立という相殺適状が失われた後においても相殺の例外として、第三債務者の相殺の対抗を認めたものである。

二、したがって、右最高裁判決の考え方によれば、転付後の相殺は第三債務者と転付債権者との間で、第三債務者の債務者に対する債権と、転付債権者の第三債務者に対する被転付債権とを対置してなされるのであり、第三債務者が相殺の意思表示をなすべき相手方が転付債権者であることは当然のことである。

また、右最高裁判決の以前の考え方によれば、相殺の遡及効により相殺の効果が転付と同時かそれ以前において生じる場合にのみ第三債務者の相殺の対抗を認めたのであるから、このような場合には被転付債権が相殺により遡及的に消滅することにより転付の当時被転付債権が存在しなかったものとみて転付命令が実体的に無効となり執行債権消滅のおよび被転付債権の移転という効果が生じないという解釈も可能であった。しかし、右最高裁判決の考え方では、双方の弁済期到来という相殺適状が転付の後に生じる場合であっても第三債務者の相殺の対抗を認めるものであるから、相殺の効力が転付時までは遡らず、転付時において被転付債権が存在し、転付命令が有効な場合が生じてくるのである。

このように、相殺適状に達した時期のいかんにより転付命令の効力を左右にする考え方は法律関係を複雑、不安定にするものであって誤りである。相殺の遡及効といえども相殺の意思表示以前に生じた事実を覆すことはないのであるから相殺適状に達する時期のいかんをとわず転付命令は有効であり、執行債権の消滅および被転付債権移転の効力を生じ、その後になされた相殺によりこの効果が覆されることはないものと解すべきである。

三、したがって、転付債権者は相殺により自己の被転付債権を失い、これにより第三債務者の債務者に対する債権の満足を得させるのであるが、転付債権者はなお執行債権をも失うのであり、第三者の弁済の一場合として転付債権者の代位を認めるべきものである。

もっとも、弁済による代位には任意代位と、法定代位とがあるが、転付債権者が被転付債権について第三債務者から相殺の対抗をうけるという負担をになっている以上、弁済をなすにつき正当の利益を有するものということができるから法定代位と解すべきである。

このような場合に代位を認めることは転付債権者の保護に適しまたこれにより関係者に何らの損害を与えることもない。これに反し、もし代位を認めないとすれば、転付債権者は被転付債権はもとより執行債権をも失い、仮りに執行債権が復活するとしても債務者にはもはや執行すべき財産が殆んど残っていないであろうし、仮りに何ほどかの財産が残っているとしても、他の債権者との競合により転付債権者の預金転付という優越的地位が完全に失われてしまうのであり、その損失は莫大である。

以上のように、転付債権者は法定代位により第三債務者の権利を取得するから、第三債務者は担保として取得している物を転付債権者に交付すべきものであり、第三債務者の債権が手形買戻債権であるときは、相殺により手形を交付すべき相手方は割引依頼人ではなく、転付債権者であるというべきである。

四、以上の事柄を本件についていうと、原告は訴外五幸商会の訴外東京都民銀行に対する預金債権を転付により取得し、同銀行からこの預金と同銀行の五幸商会に対する本件手形等の買戻債権とが相殺された。このことは、原告が同銀行に対し自己の預金により第三者として五幸商会の債務を弁済したのと同視されてよく原告は法定代位により同銀行の五幸商会に対する手形割引による債権およびその担保手形である本件手形の権利を同銀行から直接に取得するにいたったのである。したがって同銀行は、本件手形を、代位によって権利を取得した原告に交付すべきものであった。本件手形が同銀行から一旦五幸商会に返還され、同会社から原告に交付されたのは手形上の権利移転の経路にそってなされたものではなく、単なる事実上のものに過ぎない。

証拠関係<省略>。

理由

一、被告が本件手形を振出し、原告がその主張のとおりの裏書(被裏書人欄の記載の訂正をも含めて)のある本件手形を所持していることおよび本件手形が原告主張のとおり呈示されたことは当事者間に争いがない。

右事実によれば本件手形についてはいずれも原告にいたるまで裏書の連続があるから特段の事由がない限り、原告はこれらの手形の適法な所持人であると推定され、本訴請求のとおりの手形金債権を取得したことが明らかである。

被告は本件第二手形の第一裏書中、被裏書人欄の記載の訂正が本訴提起後になされたものであることを根拠として原告の権利を争うけれども、右被裏書人欄の訂正が仮りに本訴提起後になされたものであっても、裏書の連続の有無は口頭弁論終結時の現時点における記載により形式的に判断されるべきものである。そして現時点における本件第二手形の裏書の記載によれば裏書の連続に欠けるところがないから、原告は本件第二手形について権利行使の形式的資格をそなえていることが明らかである。したがって前記被裏書人欄の訂正が権限のないものによってなされたとか、また所持人がこれについて悪意または重大な過失によって手形を取得したとかの権利推定を破るのに足りる特段の事由の主張、立証がない以上は、原告が右第二手形の権利者であるとの推定を受けるのはやむを得ない。

そして、ほかには本件全部の手形につき、前記の権利推定を破るのに足りる特段の事由の主張、立証はない。

二、そこで、被告の相殺の抗弁について考察を進める。

(一)  本件手形が訴外東京都民銀行から訴外五幸商会に交付され、同商会から更に原告に交付されて原告が所持するにいたったものであることは当事者間に争いがなく、このような経路を辿って原告が本件手形の交付を受けるにいたったのは、原告においてその主張のとおり五幸商会の前記銀行に対する預金債権の転付を受けたが、その後この預金債権が同銀行から、その五幸商会に対する本件手形の買戻債権によって相殺されたために原告が右の預金債権を失ったといういきさつによるものであることは成立に争いのない甲第三号証と被告代表者本人尋問の結果により真正に成立したものと認める乙第四、第五号証とによりこれを認めることができる。

(二)  ところで、被告はその主張の別手形金債権による相殺を原告に対して対抗することができる前提の事実として、原告が、前記手形交付の経路にそい訴外五幸商会から本件手形の権利を取得したものであると主張し、原告は、これに対して前記被転付預金債権と本件手形の買戻債権との相殺により、現実の手形交付の経路にかかわりなく原告が法定代位によって訴外東京都民銀行から本件手形の権利を直接に取得したものであるとし、被告主張の相殺の余地はないと反論している。ところで本件においては、前述のように原告が五幸商会の東京都民銀行に対する預金債権の転付を受け、他方同銀行が五幸商会に対して転付の以前から本件手形の買戻債権をもっていたところ、転付後に預金債権の弁済期が到来して手形買戻債権と相殺適状に達した。そこで同銀行から原告に対し双方の債権が相殺されたのであるが、このような場合に、はたして原告が法定代位により東京都民銀行の五幸商会に対して有してた権利(本件手形上の権利もこれに含まれる)を取得したであろうかについて考えてみる。

(1)  このような場合に、転付債権者である原告が第三債務者である東京都民銀行から手形買戻債権による相殺の対抗を受け、被転付債権である預金債権を失うことはやむを得ない。このことは原告挙示の最高裁判所判決が示すとおりである。

(2)  そして、本件においては、双方の債権の弁済期がともに到来し相殺適状に達した時期が転付の後である(預金債権の弁済期が転付時またはそれ以前に繰り上げられたものと認めるべき資料がない)から被転付債権が遡及的に消滅しても転付時までは遡らず、当時被転付債権が存在していたことに変りがない。したがって、執行債権の消滅および被転付債権の移転という転付命令の実体的効力は前記の相殺によって何の影響を受けることもなく、結局転付債権者である原告が執行債権および被転付債権である預金債権を失うことにより五幸商会の東京都民銀行に対する手形買戻債務を弁済したのと同視してよいのではないか、ひいては原告主張のように法定代位を肯定してもよいのではないかと考える余地がないではない。

しかし、当裁判所は次に述べるような観点から第三債務者の債務者に対する反対債権によりいずれは相殺の対抗を受けるべき運命にある債権についての転付命令は、後に第三債務者から相殺がなされれば、相殺適状の生じた時点のいかん(転付の前か後か)をとわず、執行債権の消滅および被転付債権の移転という実体的効力が失われ、もっとも差押、転付という当該の具体的執行終了の効果に影響はない)したがって、代位を肯定し得ないと解すべきものと思う。

(イ) このことは、相殺適状が転付以前において生じていたという場合には相殺の遡及効の結果、転付時において被転付債権が存在しない場合にされた転付命令とみることにより、容易に理解されうるであろう。

(ロ) ところが相殺適状が転付の後において生じたという場合においては、相殺の遡及効によっても、相殺の効果が転付時までは遡らないので、転付時において被転付債権が存在していたという事実を否定することができない。したがって、この場合は確かに相殺適状が転付時以前において生じていた前記の場合と趣きを異にするものがあり、前記(2)のように転付命令が相殺によって何の影響も受けないという解釈もとれそうであるけれどもこの両者には被転付債権が転付時以前から、いずれは第三債務者からの反対債権による相殺の対抗を受けるべき運命にあったということと、転付後になされた第三債務者からの相殺により被転付債権が消滅し、その結果転付債権者の執行をなした目的が達成されないという重要な点において共通しているのである。

そうだとすると転付時を境にして相殺適状の生じた時点のいかんにより転付命令の実体的効力を左右に解することは、転付の時点における被転付債権の形式的存否を重視するの余り、被転付債権が転付の当時すでに相殺の対抗により無価値に帰する運命にあり、しかしてその後の相殺という予期された運命どおりの事態の進展により執行をなした目的が達成されないという、相殺適状の生じた時点のいかんにかかわらない共通の重要な点を軽視するものであって妥当でない。

(ハ) また、被転付債権が転付の時において存在すれば、その後の被転付債権の消滅、価値減少など、被転付債権に伴う危険は原則として転付債権者が負担すべきものであって、これにより転付命令の実体的効力に影響を及ぼさないことはもとよりである。例えば、被転付債権が他の債権者の質権の目的となっている場合には、転付の後に質権の実行があれば、転付債権者は執行債権の消滅および質権実行による被転付債権の消滅という危険を負担することになる。しかし、質権の場合には不完全ながらもともかく質権についての公示の原則がとられているのであって転付債権者は転付に当り自己の危険負担を予知することが可能な筈であるのに反し、第三債務者の反対債権により相殺の場合には被転付債権について反対債権による相殺の対抗を受けるべきことにつき何の公示もなく、特段の事由がない限り、転付債権者がこれを知るよしもない。このように公示もなく、また転付債権者の知るよしもない事由に基く危険までも転付債権者が負担しなければならないと解することは転付債権者にとって余りに酷であり、この場合には転付債権者を保護すべきであると思われる。

(ニ) そして、被転付債権が右のような転付後の相殺により消滅するにいった場合に相殺適状の生じた時点のいかんにかかわりなく、転付命令の実体的効力(執行債権の消滅および被転付債権の移転)が生じなかったものとすれば転付債権者は執行債権に基く再度の執行の機会をもつわけであり、転付債権者の保護に適するものと思われる。

原告は、第三債務者の反対債権による相殺がなされてもこれによっては相殺適状の生じた時点のいかんをとわず、転付命令の実体的効力に影響がなく、転付債権者が第三債務者に法定の代位をするものと解すべきであり、こう解することが転付債権者の保護に適すると主張しているが、必ずしもそのように解することはできない。なるほど、第三債務者が反対債権について担保を取得している場合には転付債権者が法定代位により担保(例えば本件のように担保が手形である場合にはその手形上の権利)を取得すると解した方が有利なこともあり得ようけれども、もし第三債務者が何の担保をももっていなかったときは転付債権者は代位により無担保の反対債権を取得するだけであり、反対債権が無名義債権であれば、改めて債権者に対し訴求しなければならない。これに反し、転付命令の実体的効力が失われ執行債権消滅の効果がないと解すれば、転付債権者は執行債権により直ちに再度の執行の機会をもつのであって、一般的にはこの方が転付債権者の保護に適すると思うのである。

(4)  そこで本件に立ちかえってみると、前述の転付によって原告が取得した五幸商会の東京都民銀行に対する預金債権が、同銀行の五幸商会に対する手形買戻債権と相殺されて消滅したことに伴い、前述の転付命令はその実体効力が失われたのであり、したがって、原告が前記預金債権を取得したという効果もまた失われたものというべきであるから、本件手形上の権利を代位により取得するいわれのないものである。

(三)  そうだとすると、東京都民銀行が本件手形を五幸商会に返還したのは、手形買戻により手形上の権利が同商会に移転したかまたは買戻債権の満足を得たことに伴い、同商会に権利が譲渡されたことに基くものであり、原告が同商会から本件手形の交付を受けたのは、同商会からその権利を譲受けたものであって、いずれにしても原告が本件手形の権利を五幸商会から取得したものである。

(四)  次に、原告が本件手形を取得したのが、その呈示期間経過後であることは当事者間に争いがなく、この事実と前記(三)の事実とによれば原告は被告の訴外五幸商会に対する抗弁の対抗を受けることが明らである。

そして、被告本人尋問の結果によって真正に成立したものと認められる乙第一ないし第三号証の各一、二によれば、被告が五幸商会に対し本件手形金の合計額をこえる額の被告主張の別手形金債権を有していることが認められるので、原告はこれらの手形金債権による相殺の対抗を受け、本訴請求の手形金債権は本訴においてなされた被告の右相殺により全部消滅したものというべきである。

三、よって、原告の請求は理由がなく、棄却すべきであるから、これと符合する主文記載の手形訴訟の判決を認可し、<以下省略>。

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